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講師ブログ

169号 手 高田貴美彦

2017/10/30
篠山市の学習塾 レオ

オープンスクールで、小学校や中学校に行く機会があります。
ここ数年で教室の備品の充実度は飛躍(ひやく)的にアップしています。
英語の授業では、先生のiPadから直接プロジェクターにつながり、ユーチューブを使った動画が流れます。
社会・理科・数学もなかなか優れもの。
理科は、実験も動画で行われるので実にわかりやすい。

先日、神戸のある教育機関で研究授業があり見学しました。

中学1年生の英語の授業。
先生が、プロジェクターに次々と映像を映し、子ども達は、飽(あ)きることなく授業を受けています。

  でも、ふと気が付いたことがあります。
担当の若い先生は、全く板書をしていません。
機械を操作(そうさ)して、一方的に話しをし、生徒が手を挙(あ)げたら発表させる。視線は機械とプロジェクターに映し出された映像(えいぞう)を往復するのみ。
子ども達は授業プリントを埋める作業をし、プリントとプロジェクターを見ているだけ。

 僕たちが子どもの頃は、教室に道具なんてありませんでした。
県下でも歴史ある小学校でしたが、教室にはオルガンが1台、黒板が1枚。
それでも、教育の内容は今と比べて劣(おと)っていませんでした。
子どもと先生の間に、心と心の「ふれあい」がありました。

  パソコンもコピー機もありません。
せいぜい補助(ほじょ)教材は先生の手書きのガリ版(ばん)ずり。
教科書とプリント1枚と黒板。
これだけで、授業が成り立っていました。

  チョーク1本で授業が出来るか?
こう問われたらどれだけの先生が「出来る」と言えるでしょう。

子ども達の声を聞き、目を見て語りかける。
そして、それを黒板にまとめていく。
これが教える者にとって一番大切な「気概(きがい)」だと思います。
自分のプラン通りに知識を子ども達に切り売りすることが「教える」ことではないと僕は考えます。

  人の手の技(わざ)を封じ、麻痺(まひ)させないようにしなければなりません。

  世の中には、優(すぐ)れた映像教材があることは事実です。
そして、大学合格者の数を競(きそい)、人気があるのも事実です。

しかし、僕がそれを導入する気になれないのは、ひたすら画面に向かって映像授業を受けている様子に「人の手」が感じられないことです。

お話し好きの僕がしゃべれないのは「苦行(くぎょう)」でしかありません。

「手」については、1回で終わるつもりでしたが、書き進むうちに色々と考えが出てきましたので、次回に続けますね。

*前号はこちら==>http://www.sc-leo.co.jp/blog/554.html